記憶術の始祖・シモニデス

記憶術の始祖・シモニデス

記憶術が歴史に誕生した背景は一体どのようになっていたのでしょうか。記憶術は地球上で初めて行ったと言われるのがシモニデスになります。シモニデスは紀元前556年頃のケオス《現在のケア島》に生を受け、数々の優秀な詩を作り遺したとされる実在した古代ギリシアの詩人です。日本で言う所の頌歌《しょうか》に当たるというオードと呼ばれる抒情詩の天才とされ、またそれに加えて、ペルシャ戦争時の戦没者を記念した墓碑銘も非常に有名になっていて、当時はシラクサ王ヒエロン一世に大変気に入れられ宮廷で生活を送った事もあり、紀元前468年にこの世を去ったと言われています。古代ギリシアの女詩人でアプロディテの讃歌などで著名なサッポ―や、オリンピック祝勝歌を沢山作った事で有名なピンダロスらと共にシモニデスは9歌唱詩人の一人として名を馳せました。

 

所謂、記憶術をシモニデスが初めて披露したと云われているのが、大地震が人々を襲った時とされています。その日はパトロンのスコパコが戦車競走で勝った事をお祝いしての祝勝会が行われ、シモニデスも参加していました。訪ねてきた人と挨拶を交わす為に座っていた祝席から出ると突然屋根が崩壊し崩れ落ちてきました。悲しい事に沢山の犠牲者が出ていまい、加えて遺体の損傷が激しく遺族でもさっぱり確認できない状態です。偶然一命を取り留めた唯一の生存者であったシモニデスは、遺族の為にも身元を調べる役目につき奮闘しました。彼は凄まじい事に参列していた人物を全てはっきり記憶していて、人物と位置を関連付けてどこに誰が座っていたかさえも覚えていたのです。

 

シモニデスが後に、この経験談を本に『記憶劇場』にて理論的に固め発展させ、『座の方法』としてまとめました。この『座の方法』が記憶術の原型として伝わっていきました。現在において、シモニデスが記憶術の始祖と言われている所以は、記憶術の原型を生み出し発展させたのが彼自身であり、その情報処理の方法が後世に語り継がれていったから他になりません。


人気の藤本憲幸の「超」記憶術

記憶術

記憶術

アドセンス広告